いろいろ書きます!

アクセスカウンタ

zoom RSS 太平洋戦争、レイテ沖海戦(その6)その評価2

<<   作成日時 : 2009/09/25 06:33   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 4 / トラックバック 1 / コメント 0

画像栗田艦隊の状態  栗田艦隊は作戦開始以来丸三昼夜をほぼ不眠不休の緊張状態で過ごし、栗田提督以下将兵は疲労と消耗の極みにありました。その結果、既に25日朝のサマール島沖海戦で、護衛空母と正規空母、敵煙幕と直撃弾の識別さえできない、焦って気が逸るばかりな、技量や命中率云々以前の状態に陥っていたと言われます。また、戦後初期には大和の通信機も長時間の戦闘で調子が狂っていたとされました。そのままレイテ湾に突入した場合、将兵がさらに疲労・消耗し、さらに能力が低下した状態で敵と交戦することになる点も、しばしば指摘されます。また、駆逐艦などの航続力の短い艦船では燃料が減少しており、その後、栗田艦隊は給油を行ないつつ艦隊を分割してブルネイに帰還しています。
砲弾については『レイテ戦記 上巻』P261-262にて、戦艦には砲弾が残されているものの、重巡は殆ど弾を撃ち尽くしていたことが記されています。一方、巡洋艦、水雷戦隊は利根のように単艦で発射した艦がいるものの、サマール沖海戦では駆逐隊全艦等による統制雷撃を行っていません。
また、戦艦でも金剛は7時過ぎに敵戦闘機の機銃掃射により前檣楼トップに据えられた測距儀を破壊されており、以後砲塔測距儀による射撃によらざるを得なくなりました(佐藤和正『レイテ沖海戦 下巻』P179-180)。榛名はマリアナ沖海戦での損傷修理が十分ではなく、26ノット以上を出せませんでした。それでも第7艦隊の戦艦群よりは優速ですが、第7艦隊の戦艦群とほぼ変わらない速力しか出せない護衛空母の追撃においても支障が生じていました。
水上戦について付け加えれば、「アメリカ側(主に第7艦隊)の状態」で触れたように制空権がアメリカ側にある状態では、高い砲撃命中率が期待できません。これは直前に行われたサマール沖海戦で証明されています。
また、指揮、情報でも上記で触れてきた点の他に次のような問題がありました。
まず、水上艦艇の能力を活用した作戦であるにもかかわらず、その中核である大和型戦艦については日本海軍内でも作戦を計画・指揮する部署にて正確な情報が共有されていませんでした。『戦艦大和建造秘録』には栗田健男提督は「主砲口径が46cmであることを知らなかった」と米軍の調査団に陳述している事が書かれています。第二艦隊の砲術参謀も同様で、艦隊の参謀団の全員或いは大半が、指揮下の戦艦の攻撃能力を知らなかった可能性が高いのです。戦後の一時期、大和型戦艦の攻防力は極端なまでに高く評価される傾向があり、史料批判に熱心だった大岡昇平も『レイテ戦記 上巻』P262にて「「大和」の超大口径主砲がものをいって、オルデンドルフの旧式戦艦群6隻をアウトレインジ出来たかもしれない」と指摘し、佐藤和正もこの可能性には言及しています。しかし、上記の証言は後世指摘される46センチ砲弾の威力、46センチ砲対応防禦と言った要素を計算に入れて作戦を行うことが、艦隊司令官には不可能であることを示しています。また、大遠距離砲戦での命中率は低い物であり、例えば3万メートル以遠での砲撃で命中弾を得た戦例はありません。
次に、艦隊司令官の裁量は一般に考えられているより狭い面がありました。6月29日、木更津沖の大淀にある連合艦隊司令部を訪れた第二艦隊の小柳参謀長は次期方針の打ち合わせに関係して艦隊旗艦を従来慣例となっていた愛宕から、通信能力・防御力に優れた大和型戦艦とする要望を上申し、その艦として武蔵の名を挙げました。しかし連合艦隊の草鹿参謀長は第二艦隊が夜戦部隊であり速力の遅い大和型戦艦を旗艦には出来ないこと、第一戦隊を中核に艦隊の別働隊を作る計画があることを理由として却下されました(佐藤和正『レイテ沖海戦 上巻』第二章 旗艦「武蔵」を容認されず)。その後、愛宕は潜水艦の雷撃で沈没し、艦隊司令部は作戦中に旗艦を大和に変更する事となりました。このことが後の通信不達問題を多発させた背景として指摘され、既にサマール海戦中適切な指揮が出来なかった一因として佐藤和正などが指摘しています(詳細は下記)。なお、この後に武蔵は航空攻撃により撃沈されていますが、旗艦ではなく、輪形陣の中心に配置されていなかったこと(被害担任艦を期待されたとも言われる)には注意が必要でしょう。また、旗艦としての能力を人員面から見ると、海戦当時の条件ではありませんが、竣工後連合艦隊司令部が移動してきた際暗号士まで含めてその陣容は160名程度であったといいます。
3点目として、仮にこれら全ての不利を覆して栗田艦隊が船団を撃破できればアメリカ軍のレイテ島攻略、延いてはフィリピン諸島攻略に一定の影響を与える可能性は指摘されます。しかし、揚陸した部隊への艦砲射撃は作戦計画に含まれておらず、行なうとしても現場指揮官の裁量となり、真珠湾攻撃の基地施設破壊と同質の現場指揮官の権能にまつわる問題が生じます。
いずれにせよ栗田艦隊が突入すれば、歴史上最後の戦艦同士の艦隊決戦が生起したと考えられ、「決戦が生起」という点については識者、ひいてはこの海戦について興味を持った一般人の中では共通したものとなり、そのことが太平洋戦争、あるいはレイテ沖海戦の中でもこの問題が何度も採り上げられ(本稿にも見られるように)電文や弾薬数まで検討の俎上に上がる理由のひとつとなり、後述の謎の反転問題と絡めて議論の対象となっています。

謎の反転問題  この問題は本海戦の評価の中でも最も多く議論の的となってきました。ここでは、この議論を幾つかの争点に分割して記述します。栗田艦隊のサマール島沖海戦後の反転の意図は戦史研究家などの間では「謎の反転」と呼ばれ、題名にその名を冠して記事を執筆する人物もいます。これに関連して幾つかの議論が起こりました。各艦隊の状況を列挙した後、主に反転と栗田についての議論を記します。

作戦目的に関する議論  栗田中将がなぜこの反転行動をとった理由について、艦隊の参謀長であった小柳富次は著書で追撃を中止した理由として「最後まで敵を機動部隊の高速空母群と誤観測していた」と述べています(この事は後に纏めて触れます)。また、第7艦隊の作戦参謀リチャード・クルーゼン大佐は空母機動部隊の接近を知れば栗田艦隊が退却するかもしれないと考え、ハルゼー宛ての救援依頼の他に「2時間以内に救援に向かう」という返事を平文で電話する謀略を講じていました(児島襄『太平洋戦争 下』中公文庫版P281)。
しかし、評者達により過去最も議論の焦点となってきた説は、原因を作戦の計画段階に遡って求めたものです。下記のマニラで8月11日に行われた計画の打ち合わせの段階で連合艦隊司令部と栗田艦隊の意思疎通の欠如の原因が生まれ、作戦目的の認識に影響したというものです。つまり、海軍中央では比島上陸部隊の輸送船団を叩く事を主目的とし、打ち合わせでも神参謀は「艦隊が全滅しても構わない、以後の作戦は一切考慮しない」と述べました。しかし栗田艦隊では機会さえあれば敵主力艦隊を撃滅する事を望み、また、被害が大きくなって来ると、以後の作戦の為に1隻でも多くの艦艇を保全することを考え、この齟齬が反転につながったというのです。
一方で、栗田は戦後の会見等で船団も重視していたことを述べており、小柳ら他の首脳部も著書などで船団の価値を否定してはいない。こうしたことを根拠に黛治夫のように「謎」という言葉自体を否定する者も居るまた、問題の核心とされた連合艦隊司令部の神参謀が8月にマニラで行った打ち合わせにて小柳が行った返答は小柳の著書『栗田艦隊』によると次のようなものであり、この記述はその後多くの文献で紹介されました。
連合艦隊がそれだけの決心をしておられるならよくわかった。ただし、突入作戦は簡単に出来るものではない。敵艦隊はその全力を挙げてこれを阻止するであろう。したがって、好むと好まざるとを問わず、敵主力との決戦なくして突入作戦を実現するなどという事は不可能である。よって、栗田艦隊は命令どおり輸送船団に向って突進するが、途中敵主力部隊と対立し二者いずれかを選ぶべきやに惑う場合には、輸送船団を棄てて、敵主力の撃滅に専念するが、差支えないか。
- 小柳冨次, 栗田艦隊―レイテ沖海戦秘録
この発言を神参謀は了承しました。この作戦目的の解釈の件について、当事者、後世の評者の見方は分かれています。

擁護的評価  好意的ないし同情的な見方としては、佐藤和正が挙げられ、著書『レイテ沖海戦』では神重徳も第一次ソロモン海戦で船団を支援する敵艦隊との戦闘を経験している点を挙げ「敵艦隊と遭遇した時、これを回避して輸送船団を攻撃することの困難さを神参謀は熟知していた」と述べました。著書自体もマリアナ沖海戦の敗戦時点から説き起こし、シブヤン海に進出するまでに文庫本1冊の分量を充てて背景説明に重きをおき、日本軍全般の不利な情勢の他、マニラでの打ち合わせ後、栗田艦隊司令部が船団攻撃の研究を行い、艦隊の訓練内容も完全に船団攻撃向きに変えた事が描写されました。佐藤和正は最後に「反転は”正解”だった」という節を設けており、それにとどまらず反転批判論者に対して当時の情報の不完全性などを指摘しつつ、「結果から導き出した栗田部隊への批判は、難詰であって、きわめて厚顔、無礼なもの」という旨の批判を行っています。ほぼ同様の立場としては『やっぱり勝てない?太平洋戦争』があり、同書は当該の章の副題にも「レイテ湾口で全滅」の表現を入れています。
栗田艦隊関係の当事者では戦闘詳報、上記の小柳富次(但し小柳は「すぐれた軍事史家の公正な批判に待つ」とし、判断を世に問う形としている)や黛治夫が居ます。当時尉官として戦争を戦った海軍士官では左近允尚敏が通信状況や自らの体験から栗田を擁護しています。栗田艦隊以外に目を向けると、連合艦隊司令長官であった豊田副武は本海戦のような状況は現地指揮官が判断すべきものであり「栗田君から弁明は聞いてはおらない」旨を述べており、佐藤和正がこの言葉を擁護的文脈で自著に引用しました。その他に福留繁、奥宮正武が擁護し、左近允と同じく尉官だった佐藤清夫などが若干の擁護をしています。佐藤清夫の場合は、当初は批判的立場のみでしたが後に調べを重ねて考えを変えたことを述べています。なお、佐藤和正は『戦藻録』の解釈から宇垣纏も反転を是とする考えを前提にしていたと推量しています。

中間的評価  批判と肯定が混在し、一概にどちらよりと見なせない者も居ます。大岡昇平はこのやりとりについて『レイテ戦記 上巻』でコメントを残していませんが、栗田艦隊の戦意の不足、当事者達の弁明に懐疑的で「旧軍人の書いた戦史および回想は、作為を加えられたものである」と述べ、当事者の恐怖心への推論を行っています。また栗田の逡巡を「当時の大本営海軍部にとっては勿論、現在の日本人にとって感情的に受け入れることは出来ないであろう」と述べ艦隊の反転を「出先の戦闘単位に命令違反が現れた。「大和」以下の主力艦群は自爆を拒否したのである。」(『レイテ戦記 上巻』P258)と述べました。一方で、作戦目的については日米両艦隊の指揮官が揚陸と決戦の狭間で引き裂かれたことを指摘、反転せず南下した場合の船団攻撃の勝算も悲観的な立場をとりました。栗田については「司令官に逡巡が現れた原因は、性格、指揮の経験不足に求めるべきではなく、歴史の結果にもとめるべき」旨を述べ、「氏の逡巡を批判する者ではない」と述べました。対戦国である英国の首相であったチャーチルは回顧録の中で栗田艦隊の苦境を挙げた後「この戦場と同様の経験をした者だけが、栗田を審判することができる」と述べています。
また、他者の批評に対する批評は佐藤和正以外の評者にも見られます。大岡昇平はスリガオ海峡の戦闘の評価に関連してですが、史料批判を行なう際にモリソンの『太平洋戦争アメリカ海軍作戦史』15巻を指して「米海軍公史の性格をもつものだが、それだけに迎合的筆致が見られ、聯合艦隊に対して嘲笑的」と述べジェームス・フィールドJrの著書を「好意がもてる」と評しました。伊藤正徳『連合艦隊の最後』については「聯合艦隊への愛惜が感じられる好著」だが、戦略調査団に迎合的答弁をした旧軍人への反感を指摘し「やや偏っている」と述べました(『レイテ戦記 上巻』P200-203)。

批判的評価  作戦目的の不徹底を反転の原因とし、批判的な立場を表明したのは半藤一利、外山三郎、谷光太郎、原勝洋、菊澤研宗、佐藤大輔、佐藤晃、江戸雄介などです。『失敗の本質』は物量格差、計画との差異に言及しつつ、目的解釈については中央と現場が分裂したという立場をとっています。半藤は秦郁彦、横山恵一と『日本海軍 戦場の教訓』という鼎談本を出版しその中でも辛辣に批判をしています。佐藤晃は持論の政戦略面を基調とする海軍批判(および陸軍擁護)の一環として『帝国海軍が日本を破滅させた』で本海戦を採り上げ、更に踏み込んで作戦目的への無理解を批判し、栗田を命令違反のかどで軍法会議にかけるべきだったと述べました。これに近い強い批判は江戸雄介も行っています。
これらの評者達は反転せず突入するべきだったと主張、中でも半藤、谷は突入すれば日本艦隊は輸送船団を撃滅できたと主張、第7艦隊は弾薬切れであることを有力な材料の一つに挙げています。江戸は成功の可能性に言及しつつ、撃滅に失敗しても海軍の任務としてやるべきだった事を主張しました。原は命令の絶対性を根拠としました。児島襄は弾薬の欠乏については認める記述をし「明確な目標と任務の認識を欠いた栗田艦隊が決戦、突入のいずれも果たせず終わったのは当然」と評しました。なお、外山三郎は栗田艦隊だけではなく、連合艦隊司令部でも草鹿参謀長のように艦隊決戦への未練があった者がいた可能性を指摘しています。
作戦目的関連の批判と絡めて、栗田の資質に関する議論も生まれました。半藤は、対談において栗田艦隊司令部が反転のために嘘をついていると述べ、栗田には過去の戦闘でも逃げ癖があったと主張し、本海戦での行動についても疑念をあからさまに述べています。こうした栗田個人の資質、人格に関わる批判は旧海軍軍人にも見られ、『歴史と人物/昭和56年5月号』では小島秀雄がそのことに触れています。高木惣吉は「レイテの敗将を兵学校の校長に据えた」と批判しました。なお、宇垣がこの反転に批判的であったかどうかは、評者により解釈が分かれており、宇垣が反転に批判的であったと解釈している場合もあります。更に、豊田副武は『最後の連合艦隊』にて自隊の概況をもとに判断を行なうべきではない旨をも述べており、原勝洋はそれを引用して「強く批判した」と述べ、佐藤和正の引用解釈とはずれが見られます。

その他の評価  これらのいずれとも異なる(或いは別の特徴的な観点からの)見方もあります。大和で偵察員をしていた岩佐二郎は著書にて上官の批判は行なっておらず、むしろその心情を慮る記述をしているものの、主に心情的な理由から反転せず突入するべきだった旨を主張しています。また、本海戦での物量格差は複数の者の指摘するところであり、戦時経済など戦争全体について扱った議論で提示された事実から、太平洋戦争について一定以上の知識を持つ者にとっては暗黙の前提ともなっていますが、例えば森本忠夫は『魔性の歴史』で物質的な困窮が本海戦以降特攻戦術の拡大に繋がったと言う点に着目しており、作戦計画をその流れで解釈したことを挙げています。

作戦自体を否定する評価  一方、日本側には捷号作戦の意義自体を批判する者もいます。大井篤は著書にて、連合艦隊艦船などの「目に見える損害よりも、かくれた損害の方がズッと重大である」と指摘、作戦に投じた兵力をフィリピンでの輸送作戦、護衛作戦に投じたら、護衛艦艇が倍増する事により輸送も遥かに活発になり、より多くの南方資源を日本に送り込み、南方資源船団とフィリピン軍事輸送船団を別個に編成して航路も変えることにより敵潜水艦の攻撃を分散できた旨を主張、作戦の「殴りこみ」の性格や海戦後海軍の作戦指導者達が「あれでもやらなかったよりましだ」と思い込んでいるかのように見えた事を批判しました(『海上護衛戦』26 しびれた輸血管)。
奥宮正武は『提督と参謀』にて栗田を反転論議におけるつくり話などの被害者であるとし、最近は旧海軍についての常識がないためそれを史実と信じるおそれがあると主張、作戦については「航空のことを無視した大艦巨砲主義者たちによって計画され、強硬された」と評しました。責任については連合艦隊司令部が最も大であり、本作戦に限らず戦争で栗田が参加した多くの戦いについても「不適切な作戦指揮の後始末をしたようなもの」とし、作戦中の評価については、突入命令より先に手探りで敵艦隊を求め、空母の掩護も無かった栗田艦隊に敵情を示すべきであった旨を述べました。宇垣については戦藻録で批判をしていますが、意見具申をしていないと指摘し、理由を敵情不明に求めました。また、このような事態になった遠因をマリアナ沖海戦時の小沢治三郎の失策に求め、小沢は航空戦に無理解で印象と実態の落差が激しいと批判しました。海戦自体については「敗戦処理」「消化試合」であり、最大の海戦と見ているアメリカ人や決戦と見ている一部の海軍軍人を批判しました。
反転については上記の他にも『なにわ会ニュース』92号に左近允尚敏による『栗田艦隊の反転』が掲載され、国内外の多くの評者のコメントが提示されています。
左近允尚敏は西村中将が繰上げ突入を独断したことについて、何の戦果もなく全滅したことを批判し、明るくなってから攻撃するべきだったと述べました。


司馬遼太郎さんの作品の中にはこの太平洋戦争について書かれたものはありません。それは、なぜか?おそらく全てが狂気から始まりその狂気で幕を閉じたからです。書くに値しないとというのがその理由なのではないのでしょうか。そしてその狂気に対して、アメリカが実力で叩きのめしたたということなのです。その終焉は、とても初期の頃とは明らかに異なり、下士官達や兵士達がその名の下に死んでいったということだけなのです。狂気が多くの日本人を地獄に突き落とし、そして、参謀本部の中で生き続けたのです。それは、多くの矛盾を抱え戦後連合国による形だけの責任を追求しただけで終わっています。この歴史の中に現れてくる狂気に対して、日本人はどのような評価をしたのでしょうか。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 4
なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
面白い 面白い

トラックバック(1件)

タイトル (本文) ブログ名/日時
 10 やまと  (2)  
  ブログ小説             夕陽・少年隊               ...続きを見る
ブログ人
2009/10/06 02:00

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
太平洋戦争、レイテ沖海戦(その6)その評価2 いろいろ書きます!/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる